イントロ

イントロイントロ

大正ロマン(夢二とその時代)

竹久夢二は明治17年(1884年)に生まれ、昭和9年(1934年)に50歳で亡くなっている。明治38年に投稿したコマ絵(挿絵)が初入選し、その後流行作家として広く知られる事となるが、やはり最も活躍したのは大正時代の15年間であろう。ゆえに現在でも「大正ロマンの画家」として紹介されることが多い。
大正時代は日清・日露と長く続いた戦争も終わり、自由で華やいだ空気に満ち溢れた時代であった。西洋の文化や芸術(アール・ヌーボーなど)も多く取り入れられるようになり、街では現代風の青年(モダンポーイ略してモボ)や若い女性(モダンガール略してモガ)が日々流行を追い求めていた。古い伝統と新しいもの、日本的なものと西洋的なもの、先取りの気質のものと退廃を好むもの、あらゆる物の狭間となって大正時代には華やかな文化「大正ロマン」が華咲くこととなるのである。

そういった時代にあって、夢二は西洋の最先端のスタイルと、日本古来の抒情性を強く掛け合わせた作品を次々と発表し、一躍時代の寵児となったのである。

デビューした頃の夢二

「デビューした頃の夢二」

写真パネル

外寸:103×73cm

そういった時代にあって、夢二は西洋の最先端のスタイルと、日本古来の抒情性を強く掛け合わせた作品を次々と発表し、一躍時代の寵児となったのである。

デビューした頃の夢二

「デビューした頃の夢二」

写真パネル

夢二と淡谷のり子

「夢二と淡谷のり子」

写真パネル

夢二と淡谷のり子

「夢二と淡谷のり子」

写真パネル

34×45cm

大正風俗スナップ1

「大正風俗スナップ1」

グラビア

42×53cm

大正風俗スナップ2

「大正風俗スナップ2」

グラビア

42×53cm

夢二式美人画

夢二といえば美人画。美人画といえば夢二である。当時「大正の歌麿」ともてはやされた夢二式美人画の特徴を簡単に挙げると、
 大きくて潤んだようなつぶらな瞳。
 夢見がちに愁いをふくんだやるせない表情。
 細身で八頭身という現代的なプロポーション。
 S字曲線ともいわれる、流れるたおやかな姿態。
 手や足が大きくデフォルメされており、特に指先に女性らしい表情があらわれている。
 着物はきっちりとでなく、少ししどけない位に着る。
 あたかも一人では立っていられないかのごとく、座っていたり、木に寄りかかっている構図が多い。
 振り返っている所や、完全に後ろ姿の構図も多い。

他にも「だらりの帯」であったり「異国情緒」であったりと特徴は多々挙げられようが、こういったスタイルは夢二が特定の師を持たず、画壇にも属さず、終生独学を貫いた点に負う所が大きいと思われる。
ともあれ夢二式美人画は凡百の美しいだけの美人画ではなく、夢二が実体験を通じて得たであろう、女性の内面の強さや優しさ、儚さまでをも表現しようとしたリアルな美人画であるといえよう。

黒船屋

「黒船屋」

復刻木版画

外寸:94×48cm

他にも「だらりの帯」であったり「異国情緒」であったりと特徴は多々挙げられようが、こういったスタイルは夢二が特定の師を持たず、画壇にも属さず、終生独学を貫いた点に負う所が大きいと思われる。
ともあれ夢二式美人画は凡百の美しいだけの美人画ではなく、夢二が実体験を通じて得たであろう、女性の内面の強さや優しさ、儚さまでをも表現しようとしたリアルな美人画であるといえよう。

黒船屋

「黒船屋」

復刻木版画

大正の女

「大正の女」

復刻木版画

大正の女

「大正の女」

復刻木版画

63×48cm

宵待草

「宵待草」

復刻木版画

57×45cm

青い酒

「青い酒」

復刻木版画

57×45cm