取扱作家
散華
「散華」とは、法要の時などに仏を供養するため花を撒き散らすことを意味します。
法要に「散華」を行うのは、花の芳香によって悪い鬼神などを退却させ、場を清めて仏を迎えるためとされます。元来、蓮の生花が使われていましたが、現在は蓮の花びらをかたどった紙で代用することが多いようです。
この度の薬師寺「散華」は、1986年(昭和61年)に天武天皇1300年玉忌供養と薬師寺伽藍復興の一助にと、当時の日本美術界巨匠によって描かれ奉納された作品をもとに、京都の木版匠、徳力富吉郎の監修のもと制作された木版色紙です。
作品
「慈光」
東山魁夷
「秋の塔」
平山郁夫
「紅白梅」
加山又造
「夕(せき)」
杉山寧
「松竹梅」
片岡球子
「飛天」
高山辰雄
「岩菲」
小倉遊亀
「富士」
奥村土牛
「散華菩薩」
森田曠平
長船善祐
1982年、大分県生まれ。小学校の教師をしながら、独学で油絵を学び、独自の視点で写実絵画を追求し続けている若手洋画家、長船善祐氏。
身近にある何気ない風景や静物を題材としながらも、独特の空気感と距離感をかもしだす氏の作品は、単なる写実絵画とは異なり、対象の在り方のおもしろさと観る側の視点の大切さの両方を我々に気づかせてくれます。
作品
「ロザリオビアンコ」
油彩画
「継ぐ」
油彩画
「梅屋敷」
油彩画
「棲」
油彩画
「仙洞の滝」
油彩画
「天秤」
油彩画
「コロンブス」
油彩画
「バラ一輪」
油彩画
「観望」
油彩画
「ロザリオビアンコ」
油彩画
「継ぐ」
油彩画
「梅屋敷」
油彩画
「棲」
油彩画
「仙洞の滝」
油彩画
「天秤」
油彩画
「バラ一輪」
油彩画
「観望」
油彩画
プロフィール
長船善祐
写実を超えた詩情を
描く若手洋画家
長船善祐写実を超えた詩情を |
- 1982年(昭和57)
- 大分県佐伯市生まれ
- 2005年(平成17)
- 静岡大学教育学部卒業
- 2009年(平成21)
- 大分県美展受賞(NHK大分放送賞)
- 2010年(平成22)
- 日展入選(以後2011・13年入選)
白日会入選
大分県美展受賞(奨励賞) - 2013年(平成25)
- 第89回白日会展にて白日会会友に推挙
- 2014年(平成26)
- 第90回白日会展にて白日会準会員に推挙
- 2016年(平成28)
- 第92回白日会展にて白日会会員に推挙
- 現在
- 白日会会員
大分県美術協会会員
中原淳一
戦前から戦後にかけて、雑誌編集をはじめファッションデザイナー、人形作家、インテリアデザイナーなど多彩な才能を発揮した中原淳一。
夢二にあこがれを抱いていた淳一は、独学で絵を学びながらも、人形作家として初の個展を開きます。これが「少女の友」の編集者の目に留まり、挿絵や表紙絵を描くこととなります。
戦後すぐには自らの雑誌「それいゆ」や「ひまわり」を相次いで創刊。戦後間もない灰色の世界に、美しく新しい女性のあり方を発信し続けます。戦後の女性たちに夢と希望と強さを与え続けた淳一のモダンな女性たちは、現代でもその輝きを放ち続けています。
作品
「それいゆNo.47表紙」
水彩
「人魚姫」
水彩・インク
「白雪姫」
水彩・インク
「それいゆNo.31表紙」
復刻版画
「それいゆNo.37表紙」
復刻版画
「それいゆNo.36表紙」
復刻版画
「ひまわり7月号表紙」
復刻版画
「ジュニアそれいゆ
第24号表紙」
復刻版画
「蝶々夫人」
復刻版画
「人魚姫」
水彩・インク
「白雪姫」
水彩・インク
「それいゆNo.31表紙」
復刻版画
「それいゆNo.37表紙」
復刻版画
「それいゆNo.36表紙」
復刻版画
「ひまわり7月号表紙」
復刻版画
「ジュニアそれいゆ第24号表紙」
復刻版画
「蝶々夫人」
復刻版画
プロフィール
中原淳一
ひまわり・それいゆ
昭和モダン
中原淳一ひまわり |
- 1913年(大正2)
- 香川県大川郡白鳥町にて生まれる
- 1928年(昭和3)
- 日本美術学校洋画科に入学
- 1930年(昭和5)
- 上野広小路の高級洋裁店の依頼でデザイナーとして迎えられる
- 1932年(昭和7)
- 「少女の友」と専属契約
- 1945年(昭和20)
- 入隊
- 1946年(昭和21)
- 神保町にて「ヒマワリ社」を設立。婦人雑誌「ソレイユ」(のち「それいゆ」)を創刊
- 1947年(昭和22)
- 月刊少女雑誌「ひまわり」創刊
- 1953年(昭和28)
- 「それいゆ」臨時増刊の形で「ジュニア号」を発行(のち「ジュニアそれいゆ」)
- 1964年(昭和39)
- 渡欧
- 1970年(昭和45)
- 月刊誌「女の部屋」創刊
- 1979年(昭和54)
- 脳溢血と心臓発作で館山病院に入院。以後入退院を繰り返す
- 1983年(昭和58)
- 4月19日永眠。享年70歳
熊谷守一
単純な線と明るい色彩で、対象物の内面までも描ききる独特の画風を確立した熊谷守一。
87歳の時に、文化勲章の受章者に内定しますが「これ以上ひとが来るようになっては困る」という理由で受章を辞退しました。
日がな一日、自宅の庭で草花や虫、鳥などを眺めては97歳まで描き続けた熊谷氏の素朴でユーモラスながらも考え抜かれた作品は、常に観る者に新たな発見とよろこびを与えてくれます。
作品
「蛙」
水墨淡彩
「干柿」
水墨淡彩
「松」
水墨淡彩
「裸婦」
木版画
「ゆりと蝶」
木版画
「椿」
シルクスクリーン
「かまきりにひかん花」
木版画
「猫」
木版画
「無一物」
リトグラフ
「蛙」
水墨淡彩
「干柿」
水墨淡彩
「裸婦」
木版画
「ゆりと蝶」
木版画
「椿」
シルクスクリーン
「かまきりにひかん花」
木版画
「猫」
木版画
「無一仏」
リトグラフ
プロフィール
熊谷守一
究極のかたち・画壇の仙人
熊谷守一究極のかたち |
- 1880年(明治13)
- 岐阜県恵那郡付知村(現中津川市付知町)に生まれる
- 1900年(明治33)
- 東京美術学校(現東京芸術大学)西洋画科に入学
- 1909年(明治42)
- 第3回文部省美術展覧会に〈蝋濁〉を出品、褒状を受ける
- 1910年(明治43)
- 実母の死を機に故郷へ
- 1916年(大正5)
- 再び上京して第3回二科会展に出品、二科会会員に推挙される
- 1932年(昭和7)
- 豊島区長崎町(現千早)に移り住み、生涯にわたりここで生活する
- 1964年(昭和39)
- 日本各地で数多く個展が開かれるようになる
さらにパリで個展を開催 - 1967年(昭和42)
- 文化勲章を辞退する
- 1977年(昭和52)
- 8月1日死去 享年97歳
浮世絵展
印象派の画家たちにも影響を与えた日本の誇る伝統芸術「浮世絵」。
東京では「北斎美術館」の盛況ぶりが話題となり、各地でも「浮世絵」に絡めた展覧会が頻繁に開催されるなど、今再び「浮世絵」が脚光を浴びております。
多くの日本人にとって、身近な「浮世絵」ですが、しかしながらどれだけの人が「冨嶽三十六景」の全46図、「東海道五十三次」の全55図をご覧になられたでしょうか?
有名な作品だけでなく、全体像を鑑賞する事によってのみ得られる知見、感銘というものもあると思われます。本来ならば当時の木版画の揃いでご覧いただきたい所ではありますが、ここでは低予算で可能な、復刻木版画による「浮世絵展」の開催をご提案します。
作品
「神奈川沖浪裏」
葛飾北斎
「凱風快晴」
葛飾北斎
「下野黒髪山きりふりの瀧」
葛飾北斎
「蒲原(夜之雪)」
歌川広重
「箱根(湖水図)」
歌川広重
「亀戸梅屋舗」
歌川広重
「三世大谷鬼次の奴江戸兵衛」
東洲斎写楽
「ビードロを吹く娘」
喜多川歌麿
「誠忠義士傳」
歌川国芳
「神奈川沖浪裏」
葛飾北斎
「凱風快晴」
葛飾北斎
「蒲原(夜之雪)」
歌川広重
「箱根(湖水図)」
歌川広重
「亀戸梅屋舗」
歌川広重
「三世大谷鬼次の奴江戸兵衛」
東洲斎写楽
「ビードロを吹く娘」
喜多川歌麿
「誠忠義士傳」
歌川国芳
展示内容・企画料
江戸琳派展
琳派は17世紀、京都の地で本阿弥光悦や俵屋宗達らによって誕生しました。
19世紀になると、京都琳派の代表格、尾形光琳に私淑する酒井抱ーによって江戸琳派として独自の発展を遂げるようになります。京都の琳派が王朝風の絢爛豪華な金地を多用するのに対して、江戸琳派はわび、さびを感じさせる銀地を使用。洒脱で大胆なデザインで「江戸の粋」を今に伝える日本様式美の極ともいえる作品群となっております。
本展では、江戸琳派を代表する酒井抱一の作品を初め、現在人気の鈴木其一や尾形光琳の作品を展覧。江戸琳派を身近に感じて頂ける展覧会はいかがでしょうか?
作品
「和良比(わらび)図」
尾形光琳
「楽茶碗に椿図」
酒井抱一
「双鶴図」
酒井抱祝
「白梅図」
酒井抱一
「朝顔」
伊藤哲
「達磨図」
酒井抱一
「桃太郎図」
酒井道一
「降臨せし風雷神のために」
伊藤哲
展示内容・企画料
プロフィール
酒井抱一
1761~1828年
(宝暦11~文政11)
酒井抱一1761~1828年 |
- 1761年(宝暦11)
- 姫路藩主・酒井忠恭の三男忠仰の次男として、神田小川町の酒井家別邸に生まれる。
趣味人の兄忠以の影響で多種の文化に触れ育つ。 - 1790年(寛政2)
- 家督を継ぎ姫路藩主となっていた兄忠以が急逝。この頃より自発的に市井の穏者となる。
- 1797年(寛政9)
- 西本願寺十六世文如上人の弟子となり出家。
「等覚院文詮暉真」の法名を名乗る。 - 1798年(寛政10)
- 「抱一」の号が初めて使用される。
- 1809年(文化6)
- 文人・亀田鵬斎の住居付近の下谷根岸に転居し鵬斎の生活を助ける。
以後晩年まで交友は続く。
小鸞女史と同居を始め、その教養と才能を開花させる。 - 1815年(文化12)
- 尾形光琳百年忌に遺墨展を開催する。
- 1817年(文化14)
- 谷文晁、市川団十郎など文化人との交流が広がる。
抱一句画の絵手本「鶯邨画譜」が刊行される。
根岸の抱一住居に「雨華庵」の扁額が掛かる。 - 1823年(文政6)
- 「十二ヶ月花鳥図」制作される。
- 1828年(文政11)
- 根岸の雨華庵にて歿す。築地本願寺に葬られる。68歳
酒井抱一は江戸に在住した一流芸術家である。姫路藩主・酒井忠以の弟で名は忠因といい号を抱一とした。酒井家が庇護していた尾形光琳に影響を受け、江戸に琳派芸術を確立した。
また、江戸座と呼ばれる俳諧諸派とも親交が深く自身も俳諧や狂歌を嗜む。
抱一が始めた武家と町人や文化人との交流は、江戸の文化を発展させる契機となった。
小林かいち展
大正後期から昭和初期のわずか10年ほど、京都を中心に一世を風靡した画家がいました。
名を‘小林かいち’(1896~1968)といいます。
大正12年、京都の「さくら井屋」で売り出された、かいちデザインの木版絵はがきや絵封筒はピンクやブルーのグラデーションや赤と黒の明快な対比の色彩の中に、極端にスリムな女性の嘆き姿、十字架や教会、トランプや薔薇などを配したモダンなもので、アールデコの影響を強く受けながらも、独自の抒情性をシンプルな画面構成と色彩で表現し、多くの女学生たちを魅了しました。また、谷崎潤一郎の小説「卍」には‘かいち’の絵封筒に関する描写があることからも、当時の人気の高さをうかがい知ることができます。
しかしながら、戦後には‘かいち’の存在は少しずつ忘れ去られ、一部の好事家の間では知られてはいたものの、多くの人々の記憶からは消えてしまいました。
ところが1990年代以降、海外コレクターによる日本の絵はがき展が相次いで開催されたことにより、再び‘かいち’の作品が注目を浴びるようになります。
2008年には、遺族が名乗り出たことによって少しずつですが経歴も明らかになっていきました。それでも、まだ画業の全容は謎のままです。
徐々にですが今再び注目されはじめている、謎の抒情画家‘小林かいち’の妖しさと儚さ、刹那的でスタイリッシュな展覧会は如何でしょうか?
作品
「ある日の舞姫」
木版画
「影」
木版画
「クロスワードの謎」
木版画
「彼女の青春」
木版画
「カーテンの影に」
木版画
「二号街の女」
木版画
「夜の微笑」
木版画
「嘆きの花艸」
木版画
「青い鳥」
木版画
「ある日の舞姫」
木版画
「影」
木版画
「クロスワードの謎」
木版画
「彼女の青春」
木版画
「カーテンの影に」
木版画
「二号街の女」
木版画
「夜の微笑」
木版画
「青い鳥」
木版画
展示内容・企画料
プロフィール
小林かいち
まぼろしの京都アールデコ
小林かいちまぼろしの京都アールデコ |
- 1896年(明治29)
- 小林嘉一郎(かいち)誕生
- 1917年(大正6)
- 東京にて写真撮影。写真の裏面に「う多治」の署名
- 1923年(大正12)
- 京都のさくら井屋から「小林うたぢ」の作者名で絵葉書集発売。
その半年後「小林かいち」の絵葉書・絵封筒などに拡大していくが、それがいつまで継続したのか不明 - 1968年(昭和43)
- 72歳で京都市の自宅で没
米倉斉加年・絵本原画展
役者として舞台・映画・テレビなどで活躍する一方「演劇と同じぐらい絵を描くことが好き」で、絵師としても際立った才能を発揮し続けていた、米倉斉加年。
なかでも絵本作家として、1976年には「魔法教えます」で、ボローニャ国際児童図書展の「子供の本グラフィック大賞」を受賞。さらに翌1977年には「多毛留(たける)」で同展の「青少年のグラフィック大賞」を受賞するという2年連続大賞受賞という世界初の快挙を成し遂げました。
今回の展覧会では、ボローニャ国際児童図書展受賞作である「多毛留」と、娘・かのさんの文章に米倉が絵を添えた「トトとタロー」。それに中学1年生の国語の教科書に採用され続けている「おとなになれなかった弟たちに…」の原画と文章を中心に、その他にも米倉斉加年が描いた女性や子供など数多くの「憂気世絵」を展覧いたします。
2014年80歳で急逝した米倉斉加年の、強いメッセージを持った絵本原画展。今の時代にこそ、多くの人々にご覧いただきたい作品です。
作品
「丹頂鶴」
水彩画
「八つ墓村」
水彩画
「人になった魚」
水彩画
「赤い月夜に旅立つ魔女」
復刻版画
「花のスカーフをした女」
復刻版画
「リリオム」
復刻版画
「子猫と赤い着物の娘」
復刻版画
「服部半蔵」
復刻版画
「海人族の戦士」
復刻版画
「丹頂鶴」
水彩画
「八つ墓村」
水彩画
「赤い月夜に旅立つ魔女」
復刻版画
「花のスカーフをした女」
復刻版画
「リリオム」
復刻版画
「子猫と赤い着物の娘」
復刻版画
「服部半蔵」
復刻版画
「海人族の戦士」
復刻版画
展示内容・企画料
プロフィール
米倉斉加年
「海流座」主宰
役者・演出家・絵師
米倉斉加年「海流座」主宰 |
- 1957年(昭和32)
- 劇団民藝水品演劇研究所入所
- 1967年(昭和42)
- 第11回新劇演技賞
第1回紀伊国屋演劇賞 - 1976年(昭和51)
- ボローニャ国際児童図書展グラフィック大賞
(子供の本の部) - 1977年(昭和52)
- ボローニャ国際児童図書展グラフィック大賞
(青少年の部) - 1981年(昭和56)
- 第4回日本アカデミー賞優秀助演男優賞
- 1988年(昭和63)
- 第23回紀伊国屋演劇賞
- 2000年(平成12)
- 劇団民藝退団
- 2014年(平成26)
- 8月26日出身地の福岡にて永眠(享年80歳)
映画、テレビ、商業演劇、絵師と幅広く活躍している米倉斉加年は、宇野重吉に師事し、劇団民藝の宇野演出作品に数多く出演し共演しました。
「ゴドーを待ちながら」(宇野重吉一座)による木下順二民話劇の全国巡演。
北林谷栄脚本の演出と共演。
- 演出・出演作品
- 「リア王」(シェークスピア)。「大司教の天井」(ミラー)。
「オットーと呼ばれる日本人」(木下順二)等を演出・出演。 - 商業演劇
- 東宝公演、森光子主演「放浪記」では白坂五郎役で連続出演しています。
- 自主公演
- 1996年より「まさかね図案舎」制作の自作・演出・主演の「娘の結婚」で全国公演を続けています。
- 画業・出版
- 絵師としての仕事も多く、絵本「多毛留」「人魚物語」「おとなになれなかった弟たちに…」等があり、画集を含め多数出版しています。
2003年7月、新作絵本「トトとタロー」を出版。その他、挿し絵、表紙絵、ポスター等も数多く手がけ、個展も毎年、各地で開催し好評を博しています。
エッセイ集として「道化口上」「演ずること」他があります。 - 切手
- 1981年、郵政省記念切手・日本の歌シリーズ、切手原画「椰子の実」を描く。
2003年・2004年の年賀状を福岡郵政局より依頼され描く。 - 教科書
- 絵本「おとなになれなかった弟たちに…」は1987年より中学1年生国語教科書に採用され、現在も使用されている。
池田満寿夫展
1966年「ベネチア・ビエンナーレ展」での版画部門国際大賞をはじめ、次々と賞を獲得、国際的に脚光を浴びる版画家となった後、1977年小説「エーゲ海に捧ぐ」で芥川賞受賞。早くから「造形の詩人」といわれてきた池田満寿夫は版画家として活躍するだけではとどまらず小説家、写真家、映画監督、コメンテーターとそのマルチな才能を存分に発揮しました。
さらに1983年頃からは、「日本回帰」と称して陶芸の世界に挑戦。作陶をはじめ大型のモニュメンタルな作品も手がけました。1997年63歳で他界。
世界的な版画家で、日本を代表するマルチアーティスト、池田満寿夫の軽やかなエスプリに満ちた展覧会はいかがでしょうか?
作品
「夏の夢」
ドライポイント他
「黄色い服を着た女」
リトグラフ
「ブタペストからの自画像」
リトグラフ
「挿絵原画」
ペン
「光と影」
書
「尾崎豊」
復刻版画
「天使の翼」
陶
「地蔵16」
ブロンズ
「敦煌」
ブロンズ
展示内容・企画料
プロフィール
池田満寿夫
世界的版画家
マルチアーティスト
池田満寿夫世界的版画家 |
- 1934年(昭和9)
- 旧満州奉天市に生まれる
- 1945年(昭和20)
- 終戦により長野市に引き揚げる
- 1961年(昭和36)
- はじめて銅版画の個展を上野・不忍画廊で開催
- 1965年(昭和40)
- ニューヨーク近代美術館で日本人として初めて個展開催
- 1966年(昭和41)
- ヴェネチアビエンナーレ展版画部門大賞
- 1967年(昭和42)
- 芸術選奨文部大臣賞受賞
- 1977年(昭和52)
- 小説「エーゲ海に捧ぐ」で芥川賞受賞
- 1983年(昭和58)
- 作陶を始める
- 1986年(昭和61)
- 熱海市下多賀に「満陽工房」を設立する
- 1993年(平成5)
- 駒ヶ根高原美術館に常設展示室開室
- 1994年(平成6)
- 山梨県鰍沢に八方窯と名付けた登り窯と穴窯を築く
- 1997年(平成9)
- 63歳で急性心不全のため逝去
取扱作家
港屋では、 竹久夢二以外にも独創的で際立った個性の作家を取扱っております。
こちらの作家の展示会も可能ですので、 ご興味のある方はお気軽にお問い合わせください。