取扱作家
江戸琳派展
琳派は17世紀、京都の地で本阿弥光悦や俵屋宗達らによって誕生しました。
19世紀になると、京都琳派の代表格、尾形光琳に私淑する酒井抱ーによって江戸琳派として独自の発展を遂げるようになります。京都の琳派が王朝風の絢爛豪華な金地を多用するのに対して、江戸琳派はわび、さびを感じさせる銀地を使用。洒脱で大胆なデザインで「江戸の粋」を今に伝える日本様式美の極ともいえる作品群となっております。
本展では、江戸琳派を代表する酒井抱一の作品を初め、現在人気の鈴木其一や尾形光琳の作品を展覧。江戸琳派を身近に感じて頂ける展覧会はいかがでしょうか?
作品
「和良比(わらび)図」
尾形光琳
「楽茶碗に椿図」
酒井抱一
「双鶴図」
酒井抱祝
「白梅図」
酒井抱一
「朝顔」
伊藤哲
「達磨図」
酒井抱一
「桃太郎図」
酒井道一
「降臨せし風雷神のために」
伊藤哲
展示内容・企画料
プロフィール
酒井抱一
1761~1828年
(宝暦11~文政11)
酒井抱一1761~1828年 |
- 1761年(宝暦11)
- 姫路藩主・酒井忠恭の三男忠仰の次男として、神田小川町の酒井家別邸に生まれる。
趣味人の兄忠以の影響で多種の文化に触れ育つ。 - 1790年(寛政2)
- 家督を継ぎ姫路藩主となっていた兄忠以が急逝。この頃より自発的に市井の穏者となる。
- 1797年(寛政9)
- 西本願寺十六世文如上人の弟子となり出家。
「等覚院文詮暉真」の法名を名乗る。 - 1798年(寛政10)
- 「抱一」の号が初めて使用される。
- 1809年(文化6)
- 文人・亀田鵬斎の住居付近の下谷根岸に転居し鵬斎の生活を助ける。
以後晩年まで交友は続く。
小鸞女史と同居を始め、その教養と才能を開花させる。 - 1815年(文化12)
- 尾形光琳百年忌に遺墨展を開催する。
- 1817年(文化14)
- 谷文晁、市川団十郎など文化人との交流が広がる。
抱一句画の絵手本「鶯邨画譜」が刊行される。
根岸の抱一住居に「雨華庵」の扁額が掛かる。 - 1823年(文政6)
- 「十二ヶ月花鳥図」制作される。
- 1828年(文政11)
- 根岸の雨華庵にて歿す。築地本願寺に葬られる。68歳
酒井抱一は江戸に在住した一流芸術家である。姫路藩主・酒井忠以の弟で名は忠因といい号を抱一とした。酒井家が庇護していた尾形光琳に影響を受け、江戸に琳派芸術を確立した。
また、江戸座と呼ばれる俳諧諸派とも親交が深く自身も俳諧や狂歌を嗜む。
抱一が始めた武家と町人や文化人との交流は、江戸の文化を発展させる契機となった。